現代のお大師様を目指して
本日は、お大師様が大切にされていた済生利人というお話をさせていただきます。
これは世界平和などの国家安泰や人々の幸せの為に尽くすというお大師様のお考えです。
お大師様は国家安泰のために祈りを捧げたり、身分に関係なく誰もが学べる教育の場を作られたり、水不足に苦しんでおられた農民の為に中国で学んだ土木技術を使い満濃池を作られました。
我々真言宗の僧侶は他者の為に尽くす済生利人の考えを大切にし、時間があればボランティア活動などに従事する事が望ましい訳ですが、しかし中々時間が作れてないのも現実的な問題もございます。
先日、私が大変お世話になった僧侶の方が御遷化され私はその方のお葬式に参列致しました。そこで阪神淡路大震災でお寺が火災により消失してしまわれた話が紹介されました。震災の前年に約二年間かけて立て替えた本堂が完成しこれからという時にお寺がなくなってしまい、普通ならそこで何もする気がおきないかと思います。
しかしその方は「お寺もなくなったしボランティア活動でもするか」と被災者の皆様の為に尽くされたのです。
当時のことを振り返り「多くの方が震災で犠牲となられ、お寺の檀家様も命を落とされました。生き残った方の中には多くの人が犠牲になったのになぜ自分は生き残ってしまったのかと考えておられた方も多くいらっしゃいました。しかし生き延びたのには必ず意味がある・それは犠牲になった方々がその方に思いを託したのです。私もお寺を亡くしたが、生き残ったそれは亡くなった檀信徒様の思いを背負い生かされている、だからこそ同じ様に生き残った方に寄り添いたいと思います。」と話されておりました。
自らも被災者ながら神戸の人達のこころの拠り所となるべくボランティア活動に専念されたその姿こそ済生利人のお大師の姿そのものではないでしょうか。
私たちも色んな方の想いを背負って生かされた存在です。だからこそ限られた命を大切に人のために尽くす生き方を心がけたいものです。